一応書いとく

http://anond.hatelabo.jp/20130617203056

これの元記事になってる話に関しての感想は割りと僕も似通った見方をしてて多分規制論者的にはhitoubanさんがその記事のブコメで書いてるような流れにしかならんよなとは思ったんだけどまぁそれはともかくとしてこの説は初めて聞くって話は児童ポルノは子どもという属性に対する差別だから、ってあたりでポルノ自体がそもそも差別的言論だからって話は元増田も書いているがレイプレイ事件の時に散々言われてた話なのでわかるんだけどその文脈からそのまま、"「チャイルドポルノ=子供という属性へのヘイト・スピーチ」と考えている人が多数いる"から"アメリカではチャイルドポルノは「保護されない表現」と定義される"って話につなげてきちゃうあたりねw

アメリカの表現の自由保護は表現内容規制については非常に厳しくとる、が、そもそも表現の価値にはグレードがあり児童ポルノ表現はそのような厳格に保護された表現の自由の自由の範疇に含まれないものであるから(だからと言って何の制約もなく規制できるわけではないにせよ)規制が可能である、という理屈になっているはずで(まぁこの辺詳しい人ならそれぞれの細々としたルールが決定されてく過程について○○vsState○○判決、そこで出された○○基準、とかその内容がすらすらでてくるんだろうけどw)理由としては反差別としてのヘイトスピーチだから、という話ではない、筈なのではないかなぁ、ということ。


まぁこの話はいかにも色んなものが入り組んでてあれなんだけどね。ペドファイル精神障害の一種として認識されてるのかもしれないけどそれで処罰って話になると病気だから処罰?障害者だから排除?それなんて差別?wって感じだし一般的にペドフィリアは思春期前の子どもへの性的衝動をもった人間らしいけど実際に制定されたり検討されたりしてる法制は18歳未満だったりするしいやそもそもペドファイルとチャイルドマレスターは違うし重なりも案外多くないとかでも表現による価値観の再生産を防ごうという話ならその標的はやっぱりチャイルドマレスターじゃないよなとか私的なことと公的なことを分離せずすべてが公的なものとして人権思想に沿って政治的に正しくあらねばならないとすればそれはまさに人権が国家ではなく個人を、しかも国家を縛り付けるものと同じ強度で縛り付ける鎖として機能する世界になる訳でそこには自由など存在する余地あんの?wとかねw


実際フェミニズム方面でマッキノンの話をいまさらそのまま引いてくるのか?みたいな話はレイプレイ事件の頃にあった気がするけどフェミニズム方面には詳しくないのでなんともいえないんだがしかしあれからもう4年くらい経つのにその頃の話がそのまま出てきたりするんだよなぁってあたりフランス革命から共和制がそれなりに安定したものとして成立した第三共和制まで90年とかかかってるんだしと思うべきなのか視聴者が入れ替わって戦隊モノが30年以上続くように論者が入れ替わって何週目だコレみたいなモノとしてみるべきなのかって感じはあるかなw